日時/場所:2017/4/15(土) 13:00~16:00 おあしす
内容: 「愛国心と教育」
講師:清川久基さん
はじめに
清川さんに、「愛国心と教育」について、「日の丸(国旗)、君が代(国歌)」の扱いの変遷を通して説明してもらいました。敗戦から10年もたたないうちから、憲法でうたわれる「国民主権」とは異なる、国家優先の制度がじわじわと制定されてきたことが分かります。
Ⅰ.講義内容の要旨
[敗戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)の「日の丸・君が代」に対する態度]
・当初、禁止措置をとらず、「日の丸掲揚」にはGHQの許可が必要とした。
・1945/12/29 元旦、三日、五日の三日間のみ国旗掲揚を許可した。
・1947/5/3 新憲法施行日。「日の丸」掲揚を特別許可。この日以降、国会、最高裁判所、総理大臣官邸、皇居の4か所に限り、「日の丸」掲揚を無制限に許可した。
・1948/3/1から、12の祝祭日に、GHQの許可なしに掲揚が可能になった。
・1949/1/1より、「日の丸」掲揚が完全に自由となった。
しかし、沖縄では刑事罰を伴って、掲揚は厳禁とされていた。
[天皇の地方巡幸と「日の丸・君が代」]
・1947/10/30 金沢、第2回秋季国体開会式に天皇出席。ポールに日の丸掲揚、君が代も斉唱。
以後、国体には天皇出席が恒例化し、「日の丸・君が代」もセットになった。
・1948/6月 衆参両院で教育勅語の失効が宣言された。
[天野談話]
・1950/10/17 天野談話、全国の教育委員会と大学に通達。
「「文化の日」その他国民の祝日は、国民自ら定めた日であり、各学校において、学生生徒児童に対し、祝日の意義を徹底させ、進んで国歌及び社会の形成者として自覚をさせることは極めて必要なことと思われる。訓話、講演会、学芸会、展覧会、運動会等において国旗を掲揚し、国歌を斉唱することも望ましいと考える。」
・1951/1月 天野文部大臣談話
「共産主義に対する精神的自衛力として愛国心高揚のため、「君が代」を歌い、「日の丸」を掲げる必要がある。」
・1952/4/27 対日平和条約発効の日から、NHKラジオは放送終了時、「君が代」を流し始めた。
1953/9月 NHK TV放送開始後、終了時、「日の丸」と「君が代」をセットで流し始めた。
・1952年夏場所から、日本相撲協会は優勝力士への天皇杯授与に合わせ、観客に「君が代」を斉唱させるようになった。
[「日の丸・君が代」の教育現場への浸透]
・1946/10/9 国民学校令施行規則から、「学校儀式における君が代斉唱、天皇皇后ご 真影最敬礼、教育勅語奉読」の義務事項を削除。
・1947/3/31 教育基本法制定。日本国憲法実現のため、「学校の教員は、全体の奉仕 者であって、自己の使命を自覚し、その職責遂行に努める」、「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と謳った。
・1958/9/17 文部省が小中学校の学習指導要領を改訂。「日の丸・君が代」を義務教育の場に持ち込むことを明記。学習指導要領を法的拘束力のある「文部省告示」とした。
「国民の祝日など儀式を行う場合、児童に対し・・・・国旗を掲揚し、君が代を斉唱させることがが望ましい」
[1964年東京オリンピックを契機とする動き]
・1964/2/14 灘尾文部大臣の発言。 「国旗、国歌は格別大切なものとして扱うべき。オリンピックを控え、その普及に一層の努力をしたい。」
・1963年~64年 19府県議会で、「国旗掲揚・国歌斉唱」が決議された。
・1963年12月 日教組:「国旗掲揚・国歌斉唱」の強制に反対。各校の自主性に任せるとした。
・1966年6月 「建国記念の日」制定。
・1966年10月 「期待される人間像」中央教育審議会答申。
「国民として・・・正しい愛国心を持つこと」、「象徴である天皇を敬愛することは、日本国を敬愛する事に通ずる」、「天皇を象徴として自国の上に戴いてきたところに、日本国独自の姿がある」 ・・・・戦前の「国体観念」そのもの。
[学校現場と「日の丸・君が代」 強制の始まり]
・1969/3/19 佐賀県備前中学校卒業式。校長が「君が代」を歌わせようとしたが、教職員が「校歌を歌おう」と呼びかけ、校歌が歌われた。70年1月、県教委が4人の教員を「文書戒告処分」とした。「君が代」問題で、教職員が処分されたのは、初めて。
・1970/3/16 「まわれ右事件」。 前橋市桂萱(かいがや)中学校卒業式。君が代斉唱 の時、「3年1組はまわれ右」と担任の小作教諭が指示し、1組は斉唱しなかった。4 月17日、小作教諭は退職。
[法制化への道]
・1972/11/9 参院予算委員会での自民党議員の質問に対する本名総務長官の答弁。 「日の丸・君が代については国民の間に広く定着しているから、しいて政府として法制化するという考えはない」
・1974/3/10 鹿児島県玉利中学校・伊知地校長が自殺。前年の卒業式で校長と反対の職員で対立。この年も対立が予想され、翌日に協議することになっていた。
・1974/3/14 参議院予算委員会。自民党鬼丸議員の発言。「国旗や国歌は申すまでもなく、国家のシンボル。これは愛国心、郷土愛につながります。」
田中首相の答弁。「小中学校において、国旗や国歌を祝祭日に仰ぐ、歌うとするには法律が必要。この時期にきていると思います。」
・1977/6/8 小中学校の新学習指導要領案。「特別活動」。
「国民の祝日に儀式などを行う場合、児童に対し祝日の意義を理解させると共に、国旗をを掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」。 政府関係の公文書で「君が代」が「国歌」と記されたのは初めて。
文部省の担当調査官の談話。「多くの学校で卒業式になると、君が代の論争が起こる。その場合、指導要領を見ても国歌と書いていないから、歌わなくていいという論法があるようなので、その論争を打ち切るためにも君が代を国歌とした」。
・1977/7月 文部省案通りのものが正式に告示された。
・1977/10/20 参議院予算委員会、真田内閣法制局長官の答弁。
「文部省が、あるいは文部大臣が特定の歌をわが国の国歌であると決める権限を持っていらっしゃるはずはございません」。
・1979/3/1 「君が代」ジャズ風演奏事件
福岡県立若松高校。音楽教諭・小弥信一郎氏が、「君が代」をジャズ風に編曲して伴奏した。前年まで「君が代」の演奏はなかったが、校長判断で実施を決定。小弥氏は、伴奏の職務命令を受けていたので、意義申し立てのため、当日、ジーパン・縞柄のシャツの姿でジャズ風にアレンジした演奏をした。
5月8日、福岡県教委は、小弥氏を分限免職処分にした。職員の抵抗も85年頃まで。起立しない教員は教育困難校への異動、処分。福岡高教組は、組織防衛のため、それまでの三ない運動(起たない、歌わない、弾かない)から(起つが、歌わない)運動に変えた。
Ⅱ.参加者のご意見、感想
・今日の説明で、GHQの動きを知り、マッカーサーが天皇を認めた事に納得がいった。
・愛国心と教育の関連が漠然としていたが、今日の説明でよく理解できた。
・敗戦で天皇制国家を否定したのに、何故皇国史観等が復活してきたのだろう。
・マスコミ、NHKを使いながら愛国心をじわじわと浸透させてきた。
建国記念日(1966年)制定はずいぶん早い。日本会議的な動きはその頃から既にあった。
・日の丸・君が代は愛国心につながる。国民を一つの型にはめこもうとしている。
・権力を持つ人間がやりたいことをやろうとする時、利用するのが愛国心。これに対抗する人間や勢力はつぶそうとする。
・中曽根内閣の時、日本史を必修から外し、世界史は必修とした。明確な教育理念が確立されていない。ふらふらしている。
・道徳強化。根本に天皇を利用しようとしている。愛国心、郷土愛の押しつけ。
・日本は他国に比べ、教育の場に儀式が多い。入学式や運動会は外国にはない。
・栄小の卒業式に、はかまをはいてくる男子生徒が20人いた。
・卒業式での対面式(同じ床の上、卒業生と在校生が同じ高さで対面)が禁止になった(東京都)。
現在は、壇上に上がって、卒業証書をもらう。権威付け?
・何故、君が代は起立して歌うのか。何故、国旗に一礼するのか。
・全体的に戦前回帰。しかし、単純な戦前回帰とは違う。企業にとって都合のよい人間を作ろうとしている。競争社会で個々人がばらばらにならないように。
・国民が戦争について総括してこなかったために、日の丸、君が代、愛国心がスムーズに通ってきている。
・日本は、水に流す文化、民族性。この検証が大事。
・個を否定する社会になったのか。自分で考え、行動に移すことが苦手な民族。
・こういう危険性を一般の人にどのように伝えていったらよいのだろう。
以上
文責: 高橋(邦)
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