第24回 よしかわ憲法サロン8月学習会内容報告
日時/場所: 2016/8/20 (土)13:30 ~ 16:30/おあしす セミナー4
内容: 1.「日本の先の戦争は何だったのか」 講師5名による講演
2.感想
1.講演内容概略
講師(敬称略):三須、清川、柴山、鈴木、栗原
1) 三須氏
・明治時代から終戦(1945年)迄の年表を示し、各年代の軍事予算及び兵員の数を示した。
〈軍事予算比率〉
・ 日清戦争時:70%、
・日露戦争時: 80%、
・第1次大戦直後(1919年):65%、
・日中戦争~太平洋戦争時:75~80%。 (平常時:25~30%)。
〈兵員数〉
1941年(200万人)、 1942年(250万人)、 1943年(290万人)、 1944年(410万人)、1945年(640万人)、
・日中戦争から太平洋戦争へ進む流れの概略を説明。
2) 清川氏
・太平洋戦争開戦を望んでいたのは、陸軍ではなく海軍であったという説明をされた。
開戦時迄の状況
陸軍:米・英が蒋介石政権を援助している。援蒋ルート阻止するため、南部仏印へ軍を進める。
海軍:米・英・オランダは一体。南方進出は対米戦争を意味すると認識。アメリカ領フィリピンがある限り、制海権を確保するのは困難と考えていた。
1941.7.28 陸軍、南部仏印へ進駐(運命の分岐点)
米・英: 経済制裁発動(石油全面禁輸) ⇒ 海軍にとり、致命的打撃。
海軍:対米戦を仕掛けるなら、石油備蓄が底をつかない内、早ければ早い程よいと考えた。
ハワイ作戦の準備開始。 1941.9.6 御前会議。10月上旬迄外交交渉を行い、決着つかなければ武力発動も辞さないとした。
海軍:米英との戦争決意。陸軍:対米戦覚悟。
1941.10月 近衛内閣総辞職、 東条内閣成立。
・太平洋戦争で武力発動できたのは海軍だけ。陸軍単独で戦争はできない(兵士の輸送は海 軍に頼るしかない。海軍は、アメリカ依存の石油供給体制を脱し、東南アジアの油田地帯を押 さえ、不安のないようにしたいと考えた。
・太平洋戦争を望んでいたのは、実際のところ海軍だった。東京裁判で絞首刑になった7人は、 広田弘毅元首相を除けば全て陸軍関係者だった。太平洋戦争陸軍主犯説では、歴史を総括し たとは言えない。
3) 柴山氏
・2,000万人の犠牲を出した戦争
15年戦争(1931年 満州事変、1937年 日中戦争、1941年 アジア・太平洋戦争、1945年 敗戦)
中国の主権回復、民族独立の要求を踏みにじり、中国への領土拡張・支配を目指した戦争。
太平洋戦争は、満州事変、日中戦争の延長線上に発生。これらの戦争を関連させて捉える事が大事。
15年戦争の本質:アジアへの領土拡張・支配のための侵略戦争。
2000万人以上のアジアの人々が死亡、310万人の日本人が犠牲。
・戦争拡大の道を歩んだ日本
1931年9月: 満州事変。「満州国」建国。米・英との対立。
1933年3月: 国際連盟による満州からの撤退勧告に対し、連盟脱退。華北地方への膨張目指す。
1937年7月: 盧溝橋事件。中国大陸への全面侵略戦争開始。
1937年12月:南京占領。南京大虐殺。
国民政府、首都を重慶に移し抗戦。八路軍、華北地方で解放区広げる。中国の民族自決意識の高揚。 タイ以外の東南アジアは、欧米の植民地。オランダ、仏がドイツに敗れ、欧米の東南アジア支配が弱まったのに乗じ、植民地を日本の支配下へ置こうとする膨張主義が台頭。
米英の援蒋ルートを断ち、戦争に必要な資源(石油、鉄鉱石、ゴム等)を確保しようとした。
1940年7月:第二次近衛内閣。「大東亜共栄圏」建設のため、武力南進の方針決定。
1940年9月:日独伊三国同盟締結。
1941.7.2:御前会議。大東亜共栄圏建設を基本、日中戦争継続、南進体制の強化、対米英戦争辞さず。
1941.7.28:ベトナム南部、カンボジアへ進駐。
アメリカ:在米日本資産凍結。日本への石油輸出全面禁止。英・オランダ:日本資産凍結。
この経済制裁措置の事を、ABCD包囲網により追い詰められたと言い、「自存自衛」のための戦争と宣伝した。戦争を美化しようとしている人達は、この議論により侵略戦争を正当化しようとしている。
・本当に戦争を避けようとしていたのか?
1941.9.6: 御前会議。10月末までに、対米英戦争の準備を終える事を決定。
アメリカは日本軍の中国からの撤退を要求。日本、これを拒否。
1941.11.5: 御前会議。日米開戦を決定。
1941.11.26: アメリカ国務長官ハルの「ハルノート」が駐米日本大使に渡された。
「ハルノート」:中国からの日本軍の撤退、全ての国の領土・主権の尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決等の要求書。
この日、既に日本海軍機動部隊はエトロフ島を出港し、ハワイ真珠湾に向かっていた。
「ハルノート」の内容が強行であったため、やむなく開戦に踏み切ったという議論があるが、「ハルノート」を受け取った時点で既に戦争行動を開始しており、開戦の責任を転嫁する議論。
中国における既得権益を固持するか放棄するか、これが日米交渉の最大争点であった。日本の支配層は「自存自衛」を掲げ、既得権を守ろうとし、戦争を避けるため、中国から撤兵し、日米交渉を進める意志はなかった。対米英戦争は、日中戦争の延長線上に発生した。
・日本の戦争だけ非難されている?
米・英・オランダも植民地を持ち、戦争をしてきた。日本だけ非難されるのはおかしいという議
論がある。1928年「パリ不戦条約」では、戦争そのものが違法であるとの意向を示した。1931
年の満州事変は侵略戦争であり、パリ不戦条約違反の戦争であると世界からみなされた。
・戦争でアジアは解放されたか? (目的は解放ではなく、資源獲得。占領地での虐殺、強制労働)
1941.11.20: 大本営政府連絡会議。南方占領地で石油、ゴム、錫等の獲得が戦争・占領の目的。
1943.5.31: 御前会議。マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスを日本領土とし、重要資源の供給源とした。
1943年2月:シンガポール占領。華僑を処刑。(日本政府調査 6,000名、華僑調査 4万名)
タイ・ビルマ間鉄道建設 (連合軍捕虜死者 11,000人、アジア人動員7万人・内4万人死亡)
バターン死の行進:アメリカ兵2,300人、フィリピン兵29,000人死亡。
インドネシアで軍工事、石油資源開発のため、インドネシア人動員(日本調査20~30万人、インドネシア調査410万人)。その9割の人が故郷に帰れなかった。
・日本軍戦死者の多数が餓死
日本軍兵士も230万人が戦死したが、その半数以上は戦闘死ではなく餓死であった。日本軍は補給を考えず、大量の軍隊を投入するという、アジア人に対してだけではなく、日本国民に対しても人命軽視の軍隊であった。
≪まとめ≫
日本国憲法前文:「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
自民党改憲草案:「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し・・・」
この改憲草案は、戦争の悲劇を単に「荒廃」とし、「大災害」と同列に置いている。戦争に対する反省は完全に抜け落ちている。先の戦争は単なるアメリカとの戦争ではなく、中国・東南アジアを舞台とした侵略戦争であった。
4) 鈴木氏
読売新聞社主筆の渡邉恒雄氏が2006年から2015年にかけて雑誌や読売新聞に書いた論稿を紹介した。その概要は次の通り。
『・特攻、人間爆弾桜花、人間魚雷回転は戦争の美談ではなく、残虐な自爆強制の記録である。
非道、外道の作戦。人間を物体としての兵器とみなした非人間性。日本軍の汚辱である。
・これらは、日本軍の野蛮な制度・組織・思想・道徳観の裏側の真実を示している。
・東条英機の作った“戦陣訓:生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ”
は、非人間的、非科学的。大本営:「アッツ島で全員自決せよ」と命令。これを美談とした。
・特攻・玉砕:陸海軍最高首脳と幕僚たちの前線将兵に対する鬼畜の行為である。
・若い将兵たちは被害者であり、軍首脳と幕僚たちは加害者である。この差は峻別しなければ
ならない。加害者と被害者を同じ場所に祀って追悼顕彰する事は不条理である。
・日本は朝鮮半島と台湾を植民地とし、満州を植民地化しようとした。満州事変から日米戦争に至る昭和戦争について植民地解放戦争とは到底言えない。
・満州事変、日中戦争の初期段階から各新聞が声を合わせ、勇気をもって軍への批判を展開していれば、あの戦争は防げたかもしれない。私達の戦争責任検証を一部の極右思想家達によって、単なる自虐史観ととられるのは納得できない。当時の軍、政府の非を明らかにした上でなければ、ことの道理から諸隣国の日本非難に応答できない。
・靖国神社は、この多くの野垂れ死にした兵士を「英霊」と呼び、「ご遺徳を顕彰する」ことを社是としている。これには見逃すことのできない、戦争を美化する作為と欺瞞がある。誰があれほどの無意味な死を強制したのか。今からでも遅くはない。この問題をきちんと検証することが、国際貢献が叫ばれる今、我々に課せられた課題であろう。
・全く勝ち目のない戦争に何故突入し、何百万という犠牲者を出しながら戦争を続け、かつ降伏をためらい、原爆投下やソ連参戦により悲惨な被害を一層広げたのか。
・その戦争責任は、戦勝国のみによる「東京裁判」で裁かれた。日本国自身による、昭和戦争の責任検証は、少なくとも国や公的機関では行われなかった。
・戦没者を祀る靖国神社には、多数の青年達を死地に追いやった責任者(無謀な計画を立案実行した者)が、犠牲となった戦没者の霊と合祀された。そこを国の責任者が公式参拝することが近隣国との摩擦となっている。
・我国が、戦争責任の所在を究明検証し、その政治的・道徳的責任を明らかにしなければ、関係国との歴史的和解が長期に渡って困難になり、相互に得る所少なく、失う事多くなるのみだろう。』
≪鈴木氏の思い≫ -憲法改正-
何のためにどこを改正するのでしょうか。ここをこう変えないと私達の生活が成立しないところまで来てしまった、この条文があるために私達の幸福追求ができないという声が国民から湧き起ってきたなら、国民が改正を検証するべきでしょう。
国会で2/3になったから、どこを変えたらいいか考えようなどと、全く筋が通りません。まさに安倍首相による安倍首相のための憲法改正という事になる。
5) 栗原氏
“先の戦争”が何であったかを問う事は、これから先の日本の戦争を考えることである。
2016年7月と8月の計10日間、沖縄に行った。
①東村高江で座り込み
・7/19~7/22は、東村高江の村議、伊佐真次氏の「非暴力の抗議行動を続けるには多くの人数が必要。是非、高江に来ていただきたい」との呼掛けに応え、高江に行った。
・7/20~7/22、高江、N-1ゲートに座り込み。
・7/22、 140名の県民を800名の機動隊が強制排除。この“強制排除”に、ユダヤ人を連行するゲシュタポが重なり、“県道封鎖”に緊急事態・戒厳令を見た。
②第68回歴史教育者協議会沖縄大会参加
・8/5 夕方~6日朝、高江 N-1裏集会に参加。国会議員(福島瑞穂、山本太郎、沖縄県選出・赤嶺政賢氏等)、高江弁護団含め500名結集。
・8/6 朝6時、9時の高江集会に参加。午後、内村千尋の講演「娘から見た父 瀬長亀次郎」を聴く。
・8/7 塚田 勲氏の講演「今、市民と共に学ぶ沖縄現代史」を聴く。
・8/8 現地見学・宮古島コース参加。 慰安婦記念碑「アリランの碑」を見る。
宮古郷土史研究会 中宗根 將二氏の講演「戦争への道 “十五年戦争”と宮古」を聴く。
宮古島に現在進行中の自衛隊ミサイル基地建設を踏まえての話。
講演の最後に「軍隊は住民を守らない。国体を守るのみ」と結ばれていた。
・8/9 下地島空港へ行く。「2010年 下地島空港の軍事利用を許さない闘い」の話を聞く。
≪まとめ≫
沖縄戦最大の教訓が「軍隊では住民を守れない」であるなら、私はそれに「戦争はいずれの国民も不幸にする」を加えたい。
辺野古では滑走路、軍港の強行建設。高江ではオスプレイパッド強行建設。宮古島では自衛隊のミサイル基地建設が強行されようとしている。
戦争経済により飯を食い、国々を支配する人々が、マーケットとして中東の次に狙っているのは、琉球弧、日本列島だと思う。
2.感想
・5名の講師陣は、短い時間の中で密度の濃い話をしてくれた。発表の順番もよかった。
・知りたい事を知ることができた。若い人にも聞いてもらいたい話だった。
・あの戦争で日本は、被害ばかりではなく、加害もあったことを(国民は)もっと知るべきだ。
・戦争中にあったことを、難しくではなく、簡単に伝えることも大事。
・「最大の問題は、悪人の圧政でなく、善人の沈黙だ」というシールズの言葉を思い起こした。
・亡くなった主人は、山本五十六を尊敬していたが、今日の話を聞いて残念に思った。(無謀な戦争をしたということが分かった)。
・父は、戦争の頃、工場を持っていたが、「若い人は戦争に取られた。機械は軍にとられた。人間を人間と思っていない」と言っていた。戦争に進んでいくような政策をとる今の政権はにくい。
・読売新聞社の渡邊主筆の言っていることから、今の読売新聞の(政権支持の)姿勢は何なのか。
・憲法が風化されてきている。今の政権に都合のよい方向に進んでいる。
・中国が南シナ海、東シナ海を実効支配している。日本は何もしていない。憲法9条を守るだけで良いのか。
・現実と9条が乖離(離ればなれ)している。こういう議論をしないと、ずるずる武装化していく。
・8月4~6日の原水爆世界大会に参加した。マスコミは本当のことを国民に知らせていない。
小さな事でも少しずつやっていく事が大事。(安保法制反対運動とか)。
以上。
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